一筆書きの気まま旅
 我が乗り鉄気まま旅の始まりは、高一の夏休みのこと。以来経路以外の計画は立てずに出かける旅に魅せられ、状況が許されると楽しんでいる。ゴールデンウィーク明けの季候も良く人混みもないこの時期に、ポッカリと時間が空いたという幸運に恵まれ、久しぶりに出かけた。(2016.5.9)
山形県小国の金目そばの館に行った帰りに見た飯豊連峰 途中で飲んだ湧き水は本当においしかった。
 今回は青春18キップではなく昔の周遊券方式、即ち距離が長ければ長いほど運賃が割安となり、有効期間も長くなるのを活用した。横浜発・一関・気仙沼・釜石・花巻・盛岡・秋田・新潟・横浜着のルートで総距離1400キロ余り。途中盛・釜石間は第三セクターの三陸鉄道なので一枚のキップにはならなかったが、その分有効期間が1日増えて10日になった。仮に一枚で買えたとした場合、運賃は10000円を切るはずだが有効期間は9日になる(実際かかった運賃は特急券など除いて15160円)。ちなみに青春18キップは11500円だが、使える時期に制約がある上に、新幹線も特急(一部に特例あり)も使えないことからすると、この方がずっと使い勝手がいい。
高館義経堂より北上川を望む 平泉は前から一度と思っていたが、中尊寺・毛越寺等を除けば歴史を感じるものはあまりなかった。しかし町はガラ空きだったのでレンタサイクルで風を切って方々走り廻ることができた。宿の泊まり客も自分一人だけだった。
震災から5年余りがたった気仙沼は、当然ながら以前見た景色とはまるで違う。思った以上に復興が進んでないように思えたが、三陸全域のインフラ整備と合わせた工事なのだからしかたのないことだと知った。
鮮魚売り場ではホヤ、カキ、キンキなど様々な魚介類が並んでたが、気仙沼漁港ではこの時期もっぱらモウカザメだと聞いた。ヒレばかりでなく身も調理するとおいしいそうだ。 気仙沼から盛まではBRT 被災で走れなくなった鉄道を舗装し、替わりにJRのバスが走る。バス以外にはクルマが通らないから渋滞がまったくないのだ。一般道路と交差する毎に踏切の遮断機が上がり、同時に近隣住民と思しき警手の旗振りを確認しながら通過する。絶対に事故は起こさないという気迫が感じられる。
バス停ではあるが、れっきとしたJR陸前高田駅だ。周辺には役場、警察、防災施設の他はコンビニがあるだけで、あたり一面非常事態感がみなぎっている。
三陸鉄道盛駅の待合室は、キップ売り場で紙コップとドリップコーヒーが買え、飲みながら地域情報をみたりして電車が来るまで時間をつぶせるというくつろぎスペース。我が町にもあったらいいなと思ってたコミュニティカフェがこんな所にあった。
釜石の大町にある居酒屋「誰そ彼」は、津波に流された長さ5mの一枚板のカウンターが4ヶ月後に見つかったのを機に、ロウソクを灯しながら営業を再開したのだそうで、暗くてお客の顔がよく見えないことから店名はこの名に変えた由。
遠野では、かつての造り酒屋の蔵を利用した遠野座で、語り部によって民話が語りつがれている。「昔々、・・・・・あったずもさ」の言葉に心が洗われるような気がしたが、意味がよく判らない部分もやはり多かった。
高2の夏休みの話しだが、秋田駅前交番で仮眠させてもらったことがある。翌朝お巡りさんから名物のモロコシをもらい、大阪まで直通の鈍行で27時間かけて帰ったのを昨日のことのように覚えている。
角館の武家屋敷地区にある今は亡きY君の生家を見つけ、しばし偲んだ。桜の時期は大変賑わうらしいが、小さな町ながらゆったりと長閑な所。泊まった町営温泉宿は銭湯にもなっているので、地元の人とも裸の触れあいができた。
秋田の版画家勝平得之の浮世絵コレクション展を見た。150点はあっただろうか、昔、記念切手になった作品も幾つかあったが、これほど多くの浮世絵を一度に見たのは初めてのこと。
木村家の田植えに立ち会えた。田植え機は田植えと同時に肥料も撒けるが、除草剤まで一緒に撒いてしまう人も多いのだという。
村上では春の庭百景めぐりの真っ最中だった。鮭の酒びたしの老舗の中庭では大きな岩に苔や草ばかりか木までもが根を張っていた。
村上のお城山(臥牛山)麓の光徳寺で近所の人としばし雑談したのだが、わざわざ家まで取りに戻ってプレゼントしてもらった著書。自然・歴史・文化・風物に分けてゆかりの俳人・歌人や地元の人の作品などをまとめ上げたもので村上ファンの僕には大変嬉しい一冊。

【追記】
ちょっと鬱陶しい話しだが、自戒のために記しておこう。気仙沼で、坂道の途中にあった寿司屋に入った。女将さんに聞かされた話だが、何と津波は店の直前で止まったとのこと。被害は大したことはなく、店主夫婦はもっぱら炊き出しなどのボランティアをしていたそうだが、しばらくして営業を再開すると、ウソの予約や出前などが毎日のように続いてノイローゼになってしまったとのだという。僅かの差で被害に遭わなかった人と遭った人というのはまさに天国と地獄だと思うが、それにしても人というのはそんな風になってしまうものかと何とも複雑な気持ちになった。

どこで撮ったか忘れてしまったが、樺太や朝鮮が領土だった時代の日本地図の鳥瞰図